HIRAMEKI-inspiration- diary

ひらめきのままに I just follow my spirit

度重なる再会 メッセージは「瞑想」

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今、旅をしており
神の島バリ島からフローレス島へ来た

その移動の機内で
ドイツ人とスリランカ人のご夫婦と隣り合った

そこでは軽く言葉を交わしただけで
そのまま分かれた


島に到着後
市街地へ向かった

ホテルを決めたあと
ツアーオフィスを巡っていると
たこのご夫婦に出会った

ひととき同じオフィスでツアーを検討したが
私は別のオフィスに当てがあったので
ご夫婦を残してそこをあとにした


夕刻
街を散策していると
夕陽が沈む景色を望めるカフェが数軒あった

何軒かスルーしたあと
とある1軒に何故か惹かれたので
立ち戻って入店してみると
またまたあのご夫婦に再会した


度重なる再会に
「偶然はない」のだからと
想いを巡らせていると

ふと奥さんの方がこう話してきた

「Like meditation?」
つまり
「まるで瞑想みたいな景色じゃない?」

暮れなずむ夕陽を観ながら
そう彼女は伝えてきたのだ


この言葉に「どきっ」とした

何故なら
日々、自己流ではあるが瞑想し
そこに興味もあるがゆえに
瞑想の英訳も知っていたのだ

一般的な単語ではないだけに
知らない人は突然こう言われても
何のことだか分からないだろう

もう一点は
この旅を始めて
やはり気が張っていたのだろう

その習慣である瞑想を忘れかけていた

昨夜
バリ島での夜に
その事を思い出したばかりだった

これは
3度このご夫婦に逢わせることで
瞑想
つまり
そのようなココロの状態をキープすることを
宇宙は伝えてきたのだろう


ありがとう宇宙
とにもかくにも
私の旅は順調である💫💫💫

宇宙におねだり✨

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家の最寄り駅に着いたとき
宇宙におねだりしてみた

「今から駅前のスーパーに
 プリンを買いに寄るから
 美味しいのを安くでヨロシクね💫」

このとき
私は旅の準備で買い物に出た帰り

ことごとく買い物は成功に終わり
「欲しかったもの」を全て手に入れていた✨

明日出発だったので
ギリギリだが完璧だった✨✨✨

そんなウキウキが続くなか
プリンも宇宙にオーダーして
早速スーパーに入店してみた


デザート売り場へのショートカットコースは
品定めするお客さんで塞がれていたので
グルッと遠回りして向かうと

特売プリンは無し

値引きシールの貼られたものは
2個510円のお高めプリンと
隣にあった1個売りプリンのみ

しかも共に「30円引き」

「30円値引きだけじゃ高いな」と感じた私は
他のケーキにしようか
他のデザートにしようか
その場に突っ立っていた

その刹那
スタッフの方が真横にやって来た

「私、邪魔かな?」と思うや否や
値引きプリンにペタッペタッと
更なる値引きシールを貼っていった

「わお♪♪♪」
と思った私は
さらに勘違いにも気がついた

「30円引きじゃなくて30%引き
 で、今貼られたのは50%引き!!!」

勘違いで値引きプリンを手にしなかったお陰で
すぐさま目の前で半額になったプリン

しかも立ち尽くしていたので
プリンはすぐ目の前
独り占めできる距離感 笑っ

しかもしかも種類は違えど
プリンは合計3個
我が家は3人

ジャスト!ジャスト!ジャストじゃん!!!

宇宙、ありがとーーーー💫💫💫💫💫


ハッピーで波動が高いまま
「絶対プリンが欲しい❗」
なんて執着せず
「絶対値引きか安売りで❗」
なんて期待もせず
のほほーんと売り場に行き
「あら。ちと高い。どうしましょう?」
って動揺せずにいたら

こんなにビビビッと受け取れるのね❤

もちろんプリンは美味しかった❤❤❤


だんだん
駅で電車も待たなくなったし
欲しいものも手には入り易くなってきたし

宇宙と波長が合ってきてる💛💛💛らしい 笑っ

鏡の法則 現実は自分次第

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私はモノに執着が無い

今では
「断捨離」「ミニマリスト
という言葉が定番化するくらいだが
その真理がすごくわかる

対して
私の母は
生きた時代の影響もあるだろうが

モノへの執着がすごい

私に対しての「嫌がらせ」かと思うくらい
そこらじゅうをモノで溢れさす

靴も脱ぎっぱなしで
母にとって「たたき」は「靴箱」

ほかにも
モノが多すぎて「充分に在ること」に気づけず
次から次へと増やしていくのだ


そして昨日
とうとう狭い玄関に
キャリーカートが鎮座していた

パッと目にするその景色は
「不快」でしかなかった

狭い玄関に邪魔でいびつに置かれたカート

ただでさえ掃除嫌いな母なのに
カートの下はホコリやゴミで汚れてくのだろう

波動を大事にしている私には
全く晴れ晴れとした気持ちになれない状態だった

何度か気にしないよう努めたが
とうとう耐えられなくなった私は
シュークローゼットを整理し
(この中も母のモノでいっぱいだ)
カートを移動させた

夜中の出来事だったので
「片付けた」とだけ
母に置き手紙をした


それから私は寝付けずにいた

モノを増やす母
に対して
モノを減らす私

過去に私が
片付けたり捨てたりすることで
傷つけられた事があり

そのシーンが悶々と繰り返され
あのとき受けた強烈な怒りの波動を
また容赦なくぶつけられるんじゃないかと
怖さで気持ちがまったく落ち着かなかった


そして今日
私は先手に出ることにした

現実は「鏡の法則
私の波動が私の現実を創っている

だったら
この怯えた感情を捨て去り

穏やかに
「スッキリして良かったでしょ」
と言わんばかりの明るい感情で

母とファーストコンタクトを取ってみようと


実践してみた


「片付けてくれたのね、ありがとう❤」
なーんてところまでには至らなかったが

穏やかに
お互い傷付けあうこともなく
カートを片付けた件は
さらっと流れ

いつもの和気あいあいとした関係でいられた✨


そうか🎵やっぱりそうなんだ🎵🎵🎵


表面的なことでなく
ココロの波動の状態で

いくらでも望んだ現実はやって来るんだ


相手の反応や在り方も

自分の在り様で
いくらでも希望を叶えることができる


私は今まで

両親を含むいろんな人間関係で
苦しみ、傷付き
人間嫌いになっていたが

やはりそれは
自分が創り出していたんだと
心底学べた瞬間だった

怖いことなんて何もない

そう信じて在れば
そういう現実がやって来る💫

嬉しいシンクロ

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このブログは
心が大きく動いたとき
閃くままに綴っているのだが

さきほど嬉しいシンクロがあった✨


ときどきここで言及する
大木ゆきのさん

今まで読んできた中で
一番心が躍り
一番勇気を貰える
モノを書く方で

著書だけでなくブログも拝読してるのだが

昨日私が書いたものと

今日彼女がアップしたものが

シンクロ💛💛💛していた


惹かれるだけに
ベースは同じであっても

やはりその内容や書くタイミングは
それぞれ違うわけで

「楽しいこと」というテーマで
「心が起点」という表現をしていたモノを

私が書いたあとに
彼女がブログをアップする

というシンクロに

嬉しくなり
また
進む勇気を貰えた


引き寄せや宇宙などの法則で
よく聞く言葉は
「行動」

「ココロのあり方」を踏まえた上で
「行動する」ことで

やはりこういうシンクロを
宇宙は与えてくれる

あるいは

自分自身で宇宙から
すでに持っているモノとして
取り出しているのだろう💫

あるものを楽しむ のと 楽しいことをする の 違い

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目にするたびに「あれ?」って違和感を抱く

人生を楽しもう❗ってヤツ


これって「楽しむ」ってことに
違いは一見無さそうだが

起点によって実は大いに違う


いろんなしがらみから
(価値観やら常識やら)
先にすることが「決まって」いて
そこから「楽しさ」を見出だす

ハッピーそうなんだけど
無理くり感が否めなくて

何より軽い感じがしない

その視点を「ヒント」として
心軽やかに「愉しい」のならば良いのだけれど

両肩に力を込めて
「楽しむぞっ❗」
って探り探り行動するのって

力んじゃって
力んじゃって

気付けば止めどない疲労感に襲われる

楽しむ=疲れる

って公式に成りかねない


逆に
起点が「愉しい」という感情からだと
次ぐ行動も「軽やかさ」を伴っている

身を任せる感覚で

どうなろうと
何処へ行き着こうと

ただただ「愉しく」

そういう時に
サインや引き寄せがやって来るし

そもそも
サインや引き寄せすらも求めていないから

来たときの感動も大きい

もはや予期せぬ「ご褒美」

最後は感謝しかない


もちろん
第一段階として
「することを楽しむ」
って手法はアリだが

やがて「ココロ起点」でないがゆえの
矛盾や違和感にたどり着いてしまう


だからこそ
そのひと手間はすっ飛ばして

「期待」や「結果」に依存しない
ただただ「愉しい」ことをすれば

満たされ続け

「生まれてきて良かった」
「生きてて良かった」

という感謝の念にまで至れる


いろんな経験をして来てこの頃
そう実感するばかり


特に他人と交わっているとき
「ポジティブだね」
「良いヒントを貰えた」
「なんか嬉しい、勇気出た」
なんて言葉を受けとるたびに

そう言う人ほど
「頑張ってしまってるんだなぁ
 宇宙を信じて任せちゃえば良いのに」
って

私もすぐに出来た口じゃないけど
それでもやって来たからこそ
そう思わずにはいられない


心が教えてくれる
「好きなことをする」

「しなきゃいけない」ことから
見出だすより早いし楽だ💛

きっかけはたくさんあれど、答えはあなたの中に

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生きてるといろんな出逢いがある

ヒト、デキゴト、ホン etc...


いろんなことを伝えられ
いろんな感情が湧き、溢れ出す

ワクワクするもの

泣けてくるもの

不快に感じるもの

何も感じないもの

そう
それが「答」

響き方で
心がちゃんと教えれくれる


私が私で居られるように

あなたがあなたで居られるように


きっかけは無数

私たちは唯一


心に聴いて
唯一の自分になろう

それが「幸せ」で在る
誰にも共通の方法だから

努力って何? それって必要?

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私は「努力」が苦手だ

嫌悪感が半端ない

過去を振り返っても
「努力した」と実感して
物事を成し遂げた事はない


例えば「跳び箱」

小学生時代
私はとうとう跳べなかった

でも
タイヤ跳びや馬跳びは跳べた

なのに
居残りをさせられ
跳べるクラスメイトたちの前で
散々跳ばされた

全く意味が理解できなかった

こんな嫌な想いをさせられてまで
「跳び箱」を跳ぶ必要があるのか

この辛い気持ちと釣り合うほどの価値が
「跳び箱」にあるのか

「跳ぶ」で括るなら
タイヤも、人も、跳べますけど


私は絵を描くのが好きだった

何度も何度も先生に提出し
直されるたびにそのポイントに集中し
手直して手直して完成させた

いざ作品が飾られたとき
他にも上手そうなクラスメイトが居たが
作品同士の比較とかどうでもよくて
自分が描き上げた絵に満足していた


これってどちらも「努力」なのか?


だったら

跳び箱から受けた感情と
絵描きから受けた感情は

全くの別物


私はこう理解している

「努力」なんて
端から勝手に眺めて
そう決めているだけ

結果の出る行動に
本人は「努力」なんて感じてもいない

ただただそうしたくて
心のままにしているだけなのだ


必死な「努力」は結果を得られない
得ても遥か彼方から永い時をかけてやって来る

好きなことはもはや「努力」ではない
経過も結果も愉しさだけ

だから体感として早くやって来るし
時には想像以上の結果をもたらしてくれる


もう「努力」って言葉で
自分を、他人を
焚き付けるの止めませんか?

好きなことをしていても
端からは「努力」に見えるんだから

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