すること それは「やりたいこと」だけ💖
昨日バイト先で
仕事上がりに
スタッフと会話する機会があった
私は日々
閃いた「やりたいこと」だけをしている
なので
「普段何をしているの」
と言う問いに
提示したのは
写真に納めた数点の
書道や絵画や作ったお菓子だった
すると
「自分の時間があって良いね
私はそんなのする気力もない」
と言う答えが返ってきた
確かに私は
やりたくないことはしないことにした
働くのが当たり前
世に貢献するのが当たり前
そういう環境で育ってきて
それらを実行に移したとしても
「至福」なんて感じたことがなかった
常に
なぜ生まれてきたのか
なぜ生きなきゃならないのか
この疑問にぶち当たった
だから
嫌なことを止めてみたのだ
そして今の私になった✨
生まれてきて良かったと初めて思えたのだ✨
そして気づいた
昨日の会話で
「自分の時間が持てて良いね
私にはクッキーを焼く気力がない」
当然だ✨
彼女に必要なのは
クッキーを焼いて自分の時間を持つことじゃない
休むこと✨✨✨✨✨
心の底から
何も心配せず
ゆったりと
何もしない自分を
「許す」ことなんだ✨✨✨✨✨
私もそうだったが
どうしても「やりたいこと」と言うと
何か「カタチあるもの」に囚われてしまう
現に私も
「普段何をしているの?」
に対して
撮っておいた作品の写真を見せた
わたしを含めほとんどの人が
こういう行動を取るから
「やりたいこと」
つまり
「魂の望むこと」
とは
こうしたカタチを持ったこと
と思い込んでしまうのだ✨
私がこうして
色々造り出す前は
夏の猛暑も手伝って
3、4ヶ月溶けていた
ただ部屋で
TVを前にして
ぐうたらぐうたらぐうたらしていただけだった
暑くて外出する気にならないし
エアコンをかけることに罪悪感があり
扇風機が好きなのも手伝って
風に当たりただ寝そべっていたのだ
今までとひとつ違うのは
そんなぐうたらな私を
私は「許していた」
実験的でもあったが
暑くてとにかく何もする気が起きない
そんな私をトコトン受け止め続けたのだ
そして
秋を感じる頃
春に申し込んでいたライブがあり
まだまだやる気の無かった私だったが
重い体を持ち上げて観に行き
今の目まぐるしい流れに乗ったのだ✨
ぐうたらすることも
今思えば
立派なやりたいことだったのだ
ホントにやりたいことは
どんなことであれ
そこには至福だけがあり
わたしで言えば
「生きてて良かった」
と言う実感が湧く✨✨✨
全てを取っ払って
やりたいこと
すなわち
魂の声に沿ってみれば良い✨
次回
彼女と同じような会話をする機会があれば
心の底から
「何もかも放っぽらかって休めば良い」
そう伝えようと思う✨
彼女が1日何もしなくたって
家族が死にはしないのだから💫💫💫