私は
「誰かのために」や「何かのために」みたいな
「他がために」
に
恐怖を覚えるくらい拒否反応する
でも
常に世がそれを「善し」とし
生きる目的の原動力として「美化」してる
なんで怖いのか
なんでここまで拒否するのか
それは
「他がために」生きてみて
苦労や辛さはあっても
幸せなんて感じた事がなかったから
だからまず「自分を満たす」
これを知り
救われたかのように
この発想を受け入れた
偽善っぽくなく
真実だと感じた
そして実践し
「それで良い」と返してくれる
出逢いも経験もあると知った
それでもまだ
「他がために」
このテーマが片隅にこびりつき
触れるたびにモヤモヤしていた
そして今
この瞬間
こう降りてきた✨
自分が自分のために生きる
魂が震える歓びの元に
ワクワクする激しい震えや
ゆったりまったり優しい震え
震え方の幅は様々でも
震えの元は「魂の歓び」
そしたら
今までの体験のように
隣で
傍で
あるときは
文字や作品、ネットを媒介にして
震えが伝わり
向こうが「震え出す」
そう
まるで「音叉」だ✨
私は私のために震える生き方を選ぶ
そして震えたとき
それを受けて次が震え出す
これが私の「他がために」のカタチなんだ✨
他のために生きなくて良い
大事なのは
他を震わそうと生きることじゃない
ありのまま自分を震わせることだ💫💫💫💫💫